思い返すと、どうしてあのとき、あんなに普通のごはんを出してしまったんだろうと思うんです。
愛犬の食欲が少しずつ落ちてきて、口にする回数が減っていた頃。
それでも、「また食べてくれるかもしれない」と願って、いつもと同じフードをお皿に出していました。
いつもと変わらないドッグフード、ぬるめのお湯をかけてふやかして、匂いを立たせて。
身体に優しいし、栄養もある。でも──最期の一口になるなんて、思ってもいなかったから。
あの子の顔を写真見ながら、後悔が湧く
ちゃんと栄養を考えていたつもりでした。
シニア用、消化にも良い、保存料も少ない。 獣医さんにも勧められていたから、これが“正しい”と思っていた。
でも、あの子がゆっくりと口を動かして、ほんの少しだけ食べてくれたその瞬間。 私は、「ああ、違った」と思ってしまったんです。
それまで何度も喜んで食べていたサツマイモや、匂いをかぎながらぺろっと舐めたチーズや、たまにしかあげなかったお肉入りのごはん。
そういう“好きだったもの”を、あげればよかったんじゃないかって。
正しさよりも、嬉しさを優先すればよかった
たぶん、正しい食事はもうあの子には必要なかったのかもしれない。
命の終わりが近づいているときに、カロリーや塩分を気にするより、“美味しい”って気持ちだけで満たしてあげることが、いちばんのごはんだったんじゃないかと、今は思います。
最後の瞬間は、思っていたよりあっけなくて、静かで、 その中で見たあの子の顔は、どこか満足そうにも見えたし、もっと欲しそうにも見えたし、もういいよと言ってるようにも見えた。
何も言わないからこそ、何通りにも見えてしまって、どの顔が本当だったのか、いまだに分かりません。
「ああすればこうすれば」の気持ちが変わったきっかけ
ココナラで「ペットの気持ち」カテゴリーでレビュー評価が一番高いアニマルリーディングの先生にお願いしたときのことでした。
プロフィール写真はとても動物と話せそうな雰囲気じゃないので、正直「この人が…?」というのが最初の印象でした。
でも、セッションが始まって数分後、先生はこう言ったんです。
「最後の方は、ふやかしたカリカリを少しずつ食べてましたね?茶色っぽくて、袋にゴールドのロゴがあるフード。あの子、それを見て“大好きな味”って言ってます」
それはまさに、私が最後にコタロウにあげたロイヤルカナンのエイジングケアフード。
さらに先生はこう続けました。
「サツマイモとか、たまにだけもらえるお肉の匂いが恋しかったみたい。でも“あのときのごはんが嫌だった”っていうより、“もっと喜ぶ顔を見せたかったな”って感じです。あなたが一生懸命だったの、ちゃんと見てましたよ」
私は、言葉が出ませんでした。
そのとき初めて、「間違っていた」と思い込んでいたことが、あの子にとっては“それでもうれしかったこと”だったのかもしれない──そんなふうに思えたんです。
きっと、あの子は怒ってなんかいない。
頭では分かっているんです。
あの子はそんなことで怒るような子じゃなかった。
与えられたものに、いつも素直にありがとうって顔をして、 それだけでこちらが救われてしまうような、そんな子だった。
それでも、もっと“特別”な一口にしてあげたかったなって、どうしても思ってしまうんです。
だから、今つらい気持ちでこの文章を読んでいる誰かがいたら。
愛犬の最期が近づいていると感じている方がいたら──
どうか、ひとくちだけでも、あの子が好きだった“あの味”をあげてあげてください。
それが、あとで自分を責めなくて済む、小さな光になるかもしれません。

