もっと抱きしめればよかった…後悔の中で出会った“あの子からのメッセージ”

ペットロス

「もう一度だけ、抱きしめたかった」

愛犬コタロウを看取ったあと、私の中で一番強く残った感情は、

「もっと抱きしめてあげればよかった」

という悔いでした。最期の日、そばにはいたけれど、動揺してしまい、何をどうしていいのかわからなかった。

亡くなってから、何度も思いました。

あの子の温もりがまだ残っているうちに、もっと抱きしめて、もっと話しかけてあげればよかった。

あんなに甘えん坊だったコタロウに、最期こそ、たくさんの愛情を注ぐべきだったのに。

後悔の正体とはなにか?

ペットロスに限らず、人が大切な存在を失ったときに感じる「後悔」には、いくつかのパターンがあります。たとえば、

行動をしなかった後悔
(もっと抱きしめたかった、もっと遊べばよかった)

判断を誤った後悔
(病院に連れていくタイミングが遅かった)

感情を伝えられなかった後悔
(「大好き」と言えなかった)

こうした後悔は、死別の直後よりも、少し時間が経ってからじわじわと押し寄せてくることがあります。そしてそれは、「もっとできたはず」という愛情ゆえの痛みでもあります。

特にペットとの別れは言葉を交わせない分、自分だけが一方的に責任を感じてしまうことが多いのです。

コタロウの記憶にある”ぬくもり”

コタロウは小柄なコーギーでした。いつも私の足元で丸くなり、私が座れば膝にのぼってきて、そのまま眠ることもありました。あの子はきっと、何より“触れ合う時間”が好きだったのだと思います。

でも最期のとき、私はその触れ合いを恐れてしまった。

何かしても無駄なのでは、という無力感があって、ただ見つめるだけだった。

だからこそ、「もっと抱きしめれば」という後悔が、ずっと消えなかったのだと思います。

そんな中、私はココナラで一番評判が良いといわれているアニマルリーディングの先生にお願いしてみました。

最初はもちろん半信半疑でしたし、プロフィール写真も霊能者らしい雰囲気とはまったく違っていて、正直ちょっと拍子抜けしたのを覚えています。

でも、先生の口から出た言葉に、私は思わず息をのみました。

「ソファの前で、コタロウくんが登ろうとして足を滑らせて…そのまま、下からあなたの顔をじっと見てる様子が見えます。抱き上げてほしかったけど、あなたの気持ちを察して、“やめておこう”って引いたみたいですね」

一瞬で、あの場面が頭によみがえりました。

亡くなる前日、コタロウは脚を踏み外して、それでも無理に鳴いたりせず、ただ私をじっと見上げてきたんです。

「抱いてほしい」と言われた気がして、それでも私は動けなかった。

それを“見ていたかのように”言われたとき、胸の奥の何かが溶けるような気がしました。

そして先生は、静かに続けました。

「それでも、コタロウくんは“自分の好きな場所で、好きなようにいられた”って満足してますよ。抱きしめられなかったことよりも、最期まで“あなたがそばにいた”ことを喜んでるみたいです」

私は、その言葉に救われました。

あのときの自分を責めることしかできなかったけど、あの子にとっては、ちゃんと“安心の中にいた最期”だったのかもしれない。

そう思えたことで、ようやく、ほんの少しだけ「ありがとう」を伝えられるようになった気がしたんです。

“メッセージ”とは、記憶の中にあるもの

数日後、静かな夜にコタロウの匂いがふっと漂った気がして、部屋を見渡しました。当然そこには誰もいません。

でもそのとき、なぜかこう聞こえたんです。

「だいじょうぶだよ、ちゃんと伝わってたよ」

それは幻聴だったのかもしれないし、私の心が作り出した声だったのかもしれません。

でも、あの瞬間だけは、確かに何かが届いたように感じました。

メッセージとは、誰かからもらうものではなく、自分の中に見つけるものなのかもしれません。

後悔から愛しさへ変わるまで

失った存在に対して抱く後悔は、完全に消えることはありません。でも、その後悔は愛情の証です

もっと何かしてあげたかった、もっと一緒にいたかった、そう思える相手がいたということ。それ自体が、かけがえのない体験です。

そしてきっと、あの子はわかっていたはずです。最期のときに十分に抱きしめられなくても、これまでの日々のなかで、どれほど深く愛されていたかを。

後悔が、やがて愛しさに変わる日が来る。

そう信じて、私は今日もコタロウの写真に、笑って「おはよう」と声をかけています。

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