ペットロスのどん底にいたとき、ふと心に浮かんだのは、
「もし死んだら、またあの子に会えるのかな」という考えでした。
もちろん、本気で死にたいと思っていたわけじゃない。
でも、眠る前や何もやる気が出ない午後、そんな思いが脳裏をかすめることがありました。
“虹の橋”というやさしい言い伝え
ペットを亡くした人なら一度は耳にする「虹の橋」の話。
天国の手前にある、草原が広がる美しい場所。 そこであの子は元気な姿になって、飼い主が来るのを待っている──
その話を初めて聞いたとき、涙が止まりませんでした。
「また会えるんだ」「寂しくしてるのは私だけじゃないんだ」と思えた瞬間、 心にすっと風が吹き抜けるような感覚がありました。
「死にたい」じゃなくて「会いたい」だけ
理解されづらい感情かもしれません。 でも、ペットロスの深いところにあるのは、
“消えた存在”に触れられない苦しさ”であって、“現実から逃げたい”という気持ちとは少し違う。
会いたい、名前を呼びたい、頭を撫でたい。
だけどそれがどうやっても叶わないとき、 唯一その願いが叶うとしたら“死後”なんじゃないか──そんなふうに思ってしまう。
誰かに言えることではないけれど、 きっと多くの人が一度は通る、静かな感情なのだと思います。
「また会えたら…」と思わせてくれる存在の大きさ
「また会えたら…」と思わせてくれる存在の大きさ
科学的には、死後の世界も、再会も証明されていません。
でも、それでも信じたくなるのは、
あの子が生きていた12年間が、それほどにも深く、自分の心に刻まれているからです。
だからこそ、その真相に裏付けがほしくて私はアニマルリーディングを受けてみました。
最初は本当に半信半疑で、先生の写真を見て「え?この人?」と思ったのが正直な感想でした。
霊能者っぽさも神秘的な雰囲気もまったくなく、どちらかというと人間臭さを感じる方で。
でも、話し始めた瞬間に空気が変わりました。
「いつも“ありがとう”って言ってくれてますよね。それ、ちゃんと届いてるみたいです」
そう言われて、胸の奥がギュッと締めつけられました。
さらに先生は、何も伝えていないのにこう言ったんです。
「最後の晩、抱き上げようか迷って、そのままにしませんでしたか?あの子、それを分かってて“わざと目をそらした”みたいですね。気づいてほしかったけど、気を遣わせたくなかったんだと思います」
私は言葉を失いました。
まさにその通りで、コタロウが脚を踏み外してしょんぼりと私を見上げた瞬間、迷って、結局声をかけるだけにしてしまったんです。
「ちゃんと伝わってたし、気にしてないですよ。」
その言葉に、涙が止まりませんでした。
それは夢でも幻でもなく、確かに“続いている関係”としての感覚でした。
あの日から、私は「いつかまた会える」という希望に、少しだけ現実味を持てるようになった気がします。
今はただ、「ありがとう」を伝えたい
あの頃、もしも私があの子のところに行けたなら──
なんて考えていたけれど、 今思うのは、「私が生きていることが、あの子の人生を証明することになるのかもしれない」ということ。
生きてる限り、思い出す。 思い出す限り、あの子はまだ私の中にいる。
そして、いつかどこかでまた会えると信じながら、 今日もひとつ「ありがとう」と心の中で呟く。
“また会いたい”は、“今を生きる理由”にもなりうる──そんなことを、あの子に教わった気がします。

