12年──それは、たぶん人間にとっても、犬にとっても“人生の大半”です。
朝起きて、水を入れて、ごはんを出して。
昼間の仕事を終えれば、急いで帰って、一緒におやつを食べて、 夜にはソファの上で眠るその姿を横目に、テレビを見る日々。
生活の一部ではなく、生活そのものになっていた。
それなのに。どうしてあの子は、“その一瞬”に限って私がいない時を選んだんだろう。
「ただいま」と言う、その数十分前に
あの日の朝、なんとなく目が合って、なんとなく元気がない気がして。
何より、あの子が行ってらっしゃいの時にだけ見せる、 “尻尾を一度だけ振るしぐさ”もちゃんとあったから。
「今日も、ただの一日だ」と思ってしまったんです。
でも、違っていた。違っていたんです。
動物は“旅立ちの瞬間”を見せないようにするって、本当?
よく言われるのが、動物は死期を悟ると姿を隠す、ということ。
野生では群れの中で弱った個体が襲われやすいため、 安全な場所へ自ら身を引く本能がある──
そんな話を本で読みました。
犬にも、その名残があるんでしょうか。
誰もいない時間を、あえて選んだのだとしたら。
苦しむ姿を見せないように。 最後の呼吸を、静かに、ひとりで終えるために。
「心配かけたくなかった」って、あの子なりの優しさだったのかもしれない。
実は、どうしてもその意味が知りたくて、アニマルリーディングをお願いしたことがあります。
選んだのは、ココナラで「ペットの気持ち」ジャンルでランキング1位の評判の先生。
外見はちょっと意外なほどラフで、霊感商法っぽい雰囲気は一切ありませんでした。
驚いたのは、最期の状況を何も伝えていないのに、「おうちが静かになったタイミングを選んだみたいですね」と言われたこと。
その一言で、「誰もいなかったわけじゃない」という私の中の想像と重なって、胸が熱くなりました。
他にも、お気に入りだったタオルの色や、毎朝していた小さなしぐさまで言い当てられた時は、涙が止まりませんでした。
感情的な慰めではなく、あの子の性格や行動が具体的に伝わってきたことで、私はようやく「ああ、そうだったのか」と思えたんです。
一緒にいたいのはこっちなのに
最期の瞬間に寄り添えなかったこと。
それは、ペットロスで最も大きな後悔として挙げられる項目のひとつです。
でも、一緒にいたかったのは、たぶん人間のほうで、 あの子にとっては“見送ってもらうこと”よりも“見せないこと”のほうが大事だったのかもしれない。
もちろん、どちらの気持ちも本物です。
でも、あの子の行動には、いつだって私を思う優しさがありました。
体調が悪くても、足が痛くても、私の前ではなるべく笑顔に見えるような顔をしていた。 そんな子だったから──
最期くらい、自分で静かに閉じようとしたのかな、なんて思ったりもします。
それでも「待っててほしかった」と思う心
頭では理解していても、感情は別物。
「なんで?」という疑問は、今も胸の奥に居座ったまま。
あの瞬間、電車を一本早めていれば。 仕事を休んでいれば。
「間に合っていたのに」と考えてしまう。
でも、それも全部“人間側の事情”であって、 あの子はあの子のタイミングで、自分で旅立つことを選んだのかもしれません。
ずっと一緒にいたから、あの子は“ひとり”でもなかった
不思議な話かもしれませんが、 「誰もいなかったわけじゃない」とも思うんです。
お気に入りだった、くたくたのピンクのぬいぐるみ。 毛布の端っこを噛みしめた跡があるタオル。 毎日おやつを食べていた場所。
それら全部が、私の代わりにそばにいてくれたんじゃないかと。
だから私は、今でも声をかけます。
「ごめんね」「ありがとう」「そっちは寒くない?」
届かなくても、届くと信じたくて──今日も。
最期の一瞬を見送れなかった私の中に、 それでも“あの子との12年間”が、ちゃんと残っているから。

